3月からスタートしたASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ホームタウン」ツアー。そのワンマン編であり後半戦であるホールツアーもいよいよ終盤に。今月末に迎えるファイナルも近づくこの日は千葉県市川市文化会館。自分にとっての「ホームタウン」と言える会場である。
すでにホールツアーは初日の越谷サンシティホールのライブを見ているのでそちらも参照していただきたい。
今回のツアーは平日であっても早めの18:30開演ということで(それだけライブが長丁場であると同時に遠くから来た人も帰りの心配をすることないようにという配慮だと思われるが、社会人には平日に18:30はキツいという声もゴッチのツイッターに寄せられていた)その時間を少し過ぎたあたりで場内が暗転するとメンバーが登場。
SEとして「ホームタウン」の「クロックワーク」のイントロが流れる中、他のメンバーに続いて最後にゴッチが淡い色のシャツを着て登場すると、SEのサウンドがそのままバンドの演奏に切り替わるというオープニング。
基本的には越谷の時と流れは変わらないが、「ホームタウン」ではその形状が連なることによって立体感をもたらすステージの短冊型のセットに映し出される映像と照明が伊地知潔のシンバルのキメに合わせてその瞬間だけ切り替わるというスタッフチームの楽曲への愛と理解度の深さ。常々
「自由に楽しんで」
と観客に呼びかけているゴッチは自ら率先してギターを弾かない部分では体を揺らしている。まだ序盤ではあるが声の伸びも素晴らしく、ホールという会場の特性を感じさせるし、それは「ホームタウン」というアルバムで新たに獲得した、現代に生きるロックバンドとしてのクリアなサウンドとも実に相性が良い。ゴッチも今の自分に合ったキーの曲であろうだけに歌いやすいのだろう。
タイトルとおりに鮮やかな七色の照明とその照明によって照らされた
「ASIAN KUNG-FU GENERATION
HOME TOWN」
というステージ背面のロゴがメンバーを照らす「レインボーフラッグ」と「ホームタウン」の収録曲が続く中、タイトル通りに街中を駆け抜けていくような映像が映し出された「君の街まで」は自分が普段から生活している場所のすぐそばの会場で演奏されると喜びもひとしお。まさに自分の街までアジカンは飛んできてくれたのである。
ゴッチがギターを鳴らすと同時に歌い始めた「荒野を歩け」ではアジカンのアートワークではおなじみの中村佑介が描いた「ホームタウン」のジャケットの少女が映し出され、その少女が電車に乗って旅をするというアニメーションに。さらに最後のサビでは少女の口が歌詞に合わせて動く。まるでゴッチに合わせて口ずさむ我々のようだ、と思っていたのだが、この日は席が越谷の15列目よりさらに近い1階の7列目ということで肉眼でメンバーの演奏する姿はもちろん、演出の細かい部分までしっかり見ることができたのだが、口ずさんでいる少女をよく見ると目の中にはアジカンのメンバー4人が映し出されている。ああ、やっぱりこの少女は我々そのものだったのだ。アジカンに会うために電車に乗ってライブ会場まで旅をし、アジカンの曲に合わせて口ずさみ、視界にはメンバーたちがいる。「荒野を歩け」はフェスなどでも毎回演奏されているからこうしてライブで聴いている回数は数え切れないけれども、今回のホールツアーはこの曲をさらに好きな曲にしてくれた。作品リリースの度に思うことでもあるけれど、そうした演出を用意してくれた中村佑介にも最大限の感謝である。
また、間奏では喜多建介が渾身のギターソロを決めるのだが、その際に頭をブンブン振りながら弾くというオーバーリアクションを見せ、その姿を見たゴッチはサポートキーボードのシモリョーと楽しそうに笑いあっていた。そのメンバーの楽しそうな表情を見るとこちらもライブを見ているのがさらに楽しくなる。そう、今のアジカンのライブの雰囲気は「楽しい」。それに尽きるし、その感情がこのライブ、しいては「ホームタウン」というアルバムにとって実に大きな要素になっていると思う。
かつては収録されたアルバム「ワールド ワールド ワールド」の発売前からフェスなどでも演奏されていたというあたりにこの曲への手応えをメンバーが感じていただろうと思える「ライカ」ではサビでゴッチが
「オイ!」
と叫ぶと観客によるコーラスパートの大合唱。この瞬間からはバンドとファンとの深い絆と信頼を感じさせたし、この曲や「迷子犬と雨のビート」のイントロが流れた瞬間に歓声が起きていたのを見ると、みんなこの曲をライブで聞きたかったんだろうな、と老若男女が居並ぶ観客それぞれのアジカンとの出会いや曲への思い入れに思いを巡らせる。
「みんな好きに楽しんで。トイレ行きたくなったら行けばいいし。俺もライブ行くと行きがちなんだけどね、飲み過ぎて(笑)
歌ってもいいしね。俺もライブ行くと絶対歌うから(笑)でも「後ろからアジカンのやつみたいな歌声が聞こえる」って思われると恥ずかしいから音量は注意するけどね(笑)
そういえばニュースで見たんだけど、クリープハイプがライブで「歌ってもいい席」っていうのをやるんだって。歌うことによって諍いが起きるからって。まぁライブハウスだったら場所移動できるけど、席が決まってるホールは移動できないからね。隣がすごい嫌いな感じの人でも。でもライブ終わった後に「隣の人が○○ですごい嫌だった」みたいなのは見たくないやつだけどね」
とホールだからこそのゴッチのライブにおける楽しみ方についてのMCは直接的な関わりがほとんどないように思えるクリープハイプの名前がゴッチの口から出てきたのが意外だったし、そうしたニュースを逐一チェックしているというのも意外。ましてや客席からも「へ〜」という声が上がっていたし。
伊地知がサンプリングパッドを細かく刻むメロからサビで一気に突き抜けていく「UCLA」からは再び「ホームタウン」のモードに突入し、それは「ホームタウン」を経たからこその四つ打ちではあるがどこかドッシリした感じに聴こえるようになったダンスビートの「ラストダンスは悲しみをのせて」へも波及しているように感じたが、曲を終えるといそいそと転換が行われる。今回のホールツアーではおなじみのアコースティックバージョンである。
まずはゴッチ&喜多という2人のアコギと歌のみで始まり、途中で伊地知のドラム、さらに山田貴洋は本職のベースではなくグロッケンで加わるという「サーカス」という「ホームタウン」収録曲に早くもアコースティックアレンジを施してみせると、「大洋航路」ではそれぞれのソロ回しが行われる。山田はここではピアニカ、ゴッチもギターではなくハーモニカという珍しい形でのソロ回しとなったが、アコースティック編成にもかかわらずサビ前で喜多が高くジャンプしたりと、大人数編成で回っていた収録アルバム「ランドマーク」のツアーとはまた違った、この4人だからこその楽しさを感じさせてくれる。
アコースティックでの距離の近さとフラットさからかMCもいつも以上に自然体で、
ゴッチ「潔はPearlとドラムの専属契約してるから楽器貸してもらえるんですよ。俺Pearlで欲しい楽器あるから潔の力で15万円くらいするやつを1万5千円くらいに0を一つ減らしてくれない?(笑)
でも潔はキヨシティボーイズっていう山形のライブでのアンコールでしかやらないユニットではラップをしてて。最近山形行ってないのは潔があれをやりたくないからスケジュール出た瞬間に山形を消してるのかもしれない(笑)」
ゴッチ「山ちゃんは実は器用でいろんな楽器ができるんだけど、最初に大学の軽音部に入ってきた時はプロフィールに「ベース、アコギ」って書いてて。弾き語りやるために入ったのかな?って」
山田「建さんとは2人で弾き語りしたことある」
ゴッチ「伝説のコスモスタジオね。(山田と喜多のユニット名)
あのユニットの「Plane」は俺の中の二大「頭にこびりついて離れない曲」だけどね」
喜多「二大って、もう一つはなんなの?(笑)」
ゴッチ「あれ、忘れられないの〜(サカナクション「忘れられないの」を口ずさむ)
喜多「怒られるから(笑)」
ゴッチ「一郎君は優しいから「ありがとうございます!」って言ってくれるよ(笑)」
など、もうこのままトークライブやった方がいいんじゃないか?と思うくらいに止まらない。だがみんな本当に楽しそうだ。
山田が大学入学時にパートの一つだったアコギを弾き、ゴッチ、喜多とともにアコギ3本というアコースティックアレンジがなされた「ブルートレイン」を終えるとシモリョーもステージに戻って通常のバンド編成へ。
「俺たちもこれからまだまだ転がり続けていくけど、上にはまだまだ先輩がいる。そんなリスペクトする先輩の曲を」
と言って演奏されたスピッツ「グラスホッパー」のカバーはメロをゴッチが、サビを喜多のハイトーンボイスが担うのだが、そのボーカル以上にこの曲をアジカンらしいものにしているのはやはりギターのサウンド。今でこそ当たり前に存在するものになった「ギターロック」というスタイルはアジカンが作り、だからこそ他のバンドの曲でさえもこのメンバーで演奏するとアジカンの曲になるということがよくわかる良カバーである。
喜多メインボーカルによるバンドの原風景である金沢八景のことを歌った「八景」、その喜多と山田による「コスモスタジオ」の2人がメロ部分を歌い合ってサビをゴッチに委ねる「イエロー」という選曲も今のメンバーの関係性だからこそ飛び道具的な感じは全くせず、これもバンドが持つ大事な要素の一つという印象になっている。
アコースティック編成後は前半にステージを彩っていた短冊型のセットがなくなり、照明のみのシンプルな、まるでライブハウスのような雰囲気になっていたのだが、それが「Easter」のようなソリッドなロックチューンにはよく似合う。
そんな中で越谷とはセトリが変わったのは「Standard」ではなく「サイレン」が演奏された部分。演出との見事なコラボレーション満載の前半部分はきっと曲を変えるわけにはいかないからこそ、こうしたシンプルなステージングになることによってそこには決まり切った演出のない自由度が出てくる。それもまたこのツアーを何本も見たくなる要素の一つである。
伊地知のドラムとシモリョーのサンプリングパッドの連打がツインドラムバトルのようにすら見えた「センスレス」と後半はライブ定番曲(それでもワンマンでは「リライト」も「君という花」も「ソラニン」も演奏されない)を続けたが、最後は「ホームタウン」のツアーなだけにアルバムの中でも最も骨太な、山田のベースが引っ張る「さようならソルジャー」から、最後は「ボーイズ&ガールズ」だったのだが、このタイミングでずっと空いていた自分の一列前の席に人が来た。スーツ姿の男性。息を切らしているようにも見えるが、汗をかいているのは間違いない。この時間になったのは仕事が終わらなかったのだろうか。それでもライブが見たいからこそこうして本編が終わる瞬間になってもここに来たのだろう、
「まだはじまったばかり
We’ve got nothing」
というこの曲のフレーズは彼にとってどんな風に響くのだろうか。ライブは終わりが見えている時間ではあったが、少しでも来てよかったと思えていただろうか。一つだけわかるのは、彼が間に合うかどうかわからない中でこの日のチケットを取るくらいにアジカンのライブがあるから日々頑張れているということ。そしてそれは彼だけではなくて我々アジカンを愛するみんながそうであること。
アンコールでは喜多がツアーTシャツに着替えて登場したことに対してゴッチが、
「俺は普段からもバンドTシャツよく着ますね。アジカンのは着ないけど(笑)俺がアジカンのTシャツ着てるとこ見られたら絶対言われるじゃん(笑)
でも街中でアジカンTシャツとか、ROCK IN JAPANのTシャツ着てるやつを見かけたら絶対逃げる(笑)一市民として生活してたいから。
ホルモンとか京都大作戦Tシャツは微妙なとこなんだよな〜(笑)」
となぜか「どのTシャツを着ている人を見かけたらゴッチは逃げないのか」というツイッターでたまに展開されている大喜利のような流れになりながら、
「関東地方では初めてライブでやる曲を」
と言って演奏されたのは「Dororo」。タイトルの通りにアニメ「どろろ」のタイアップ曲であるが、アニメが放送していた時期には演奏されなかった。だからこうしてライブで聴くのは初めてだったのだが、作品に合わせた歌詞はもちろん、「ホームタウン」の収録曲以上にいわゆるアジカンらしいギターロックになっているのはゴッチだけでなく山田との共作曲だからだろう。山田作曲の曲は常にアジカンらしさを感じさせる曲でありファンを喜ばせてきたが、常にアジカンとしての表現をアップデートさせようとするゴッチとのバランスが取れている。そのゴッチだけがアジカンを担っているわけではなくて、見た目は全く変わらないし相変わらず地味だけども山田の客観性とメロディメーカーっぷりが、そして喜多と伊地知の存在があってこそアジカンになる。
何よりもこれまでの人気曲だけではなく、こうして新曲が演奏されてライブで聴けるのをファンが本当に喜んでいる。(「Dororo」のサビではそれまで以上にたくさんの人が腕を上げていた)
ベテランになればなるほど過去のヒット曲を求められていくようになっていくが、アジカンのファンは今も変わらずにアジカンの新曲を聴けるのを心から楽しみにしている。その光景はゴッチのバンドを続けていく宣言以上にアジカンはこれからも大丈夫だなと思わせてくれる。
そして「今を生きて」で観客がバンドを支えるサポートプレイヤーのシモリョーとともに「イェー」というコーラスを叫ぶ多幸感に包まれると、最後に演奏されたのは「Dororo」の両A面シングルであり、こちらはリリース前からずっとライブで演奏されてきた「解放区」。こうしてライブで演奏するべき新曲が増えたことによって、メンバー持ち回りによる、レアな曲が聴けることもあったアンコール選曲ではなくなったのは少し残念ではあるが、曲中のポエトリーリーディング部分でゴッチは初めて訪れたこの市川が東京からほど近い場所であることに触れ、
「来れて良かった。みんなに会えて良かった」
と言った。幕張メッセや柏PALOOZAなど、千葉県の他のライブ会場でアジカンのワンマンを何度も見たことがあるけれど、まさに自分にとって「ホームタウン」と言えるような場所(近くのお好み焼き屋などで飲んだことも何度かある)でアジカンを見れている。そして
「また市川に来てね!」
というファンの声に
「うん、また来る」
と答える。アジカンがまた我々の街まで来てくれるのなら、やっぱりまだまだ生きていたいと思えるし、メンバーもそうであって欲しい。最後の
「解放区 フリーダム」
というフレーズのメンバーだけでなく観客も一緒になっての大合唱はアジカンの新たなアンセムが生まれたことへの祝福、何よりもアジカンのライブが我々にとっての「解放区」であることを示していた。
この日のライブの前、アジカンのメンバーがみんなでカラオケに行っている様子がSNSにアップされ、ファンに衝撃を与えた。(もちろん良い意味で)
これまではゴッチはブログで
「ツアーで地方に行くといつも1人で観光している」
と言っていたし、かつてHi-STANDARDが
「カラオケで歌うくらいならバンドでコピーしてくれ」
と言ってカラオケに曲を配信していなかった(今は普通に歌える)ように、アジカンのメンバーもカラオケに行くような(ましてやメンバー同士で)イメージは全くなかった。
そこを取り持ったのはシモリョーらしいが、「マジックディスク」期あたりはメンバー間の関係性がライブを見ていてわかるくらいにバチバチな緊張感に満ちていて(ゴッチも「山ちゃんと俺がよく口喧嘩していた」と言っていた)、当時サポートとして参加していたフジファブリックの金澤ダイスケの存在が救いだったとも言うくらいの状態だった。
もちろんそうして緊張感のある状態の方が良いものが作れるバンドもいるし、そうした状態だからこそ作れた名盤や名曲もあるかもしれない。しかしアジカンにも多大な影響を与えたNUMBER GIRLが再結成を発表した時のインタビューで向井秀徳は
「ピリピリするのはやめようやってメンバーには言った。そういうのはやりたくないと。自戒の念も込めて」
と言っていたように、その空気はバンドが続いていく上ではマイナスになる可能性の方が強いということを歴史が証明している。
ゴッチが
「俺がさだまさしみたいになるまで」
と言っていたように、アジカンにこれからもずっと続いていて欲しいとメンバーも我々も願っている。だからこそその未来が見える今のメンバーの関係性の良さが本当に嬉しいし、ライブの良さという面で見てもピリピリしていた時期は良い時とそうでない時がはっきりと分かれていた。長いツアーではメンバーと一緒にいる時間も長くなる。そうなるとやはりスケジュールをこなすようなライブになってしまう時もあるし、それはやはりライブの出来に直結してしまう。
でも今のアジカンは毎回演奏も演出も素晴らしい。そこにはやはりメンバーの関係性の良さによって、音楽をやることが、ライブをやることが、ツアーを回ることが楽しいと思えているのが大きいはず。大学生の頃にアジカンが始まった時はこんな感じだったんだろうか、とも思うけれど、当時は「潔とは壁があった」とゴッチは言っていた。つまり、きっとこんなにもバンドが楽しそうなアジカンの姿は初めてなのだろう。
それは見ているこちら側もそう。なんの心配もなく、アジカンのライブが心から楽しいと思えるし、15年くらいずっとライブを見てきたけど、こんなに楽しいと思えるアジカンのツアーは今までなかった。
そんな「ホームタウン」ツアーはバンドにとっても大きいものになると思うし、ずっとアジカンの存在に支え続けられてきた我々にとっても本当に大事なものになっている。
アジカンは形は変わらないまま変わり続けてきたバンドだし、その形の変わらなさは奇跡的とも言えるけれど、このままメンバーの関係性もできることならずっとこのまま変わらないでいて欲しい。
1.クロックワーク
2.ホームタウン
3.レインボーフラッグ
4.君の街まで
5.荒野を歩け
6.ライカ
7.迷子犬と雨のビート
8.UCLA
9.モータープール
10.ダンシングガール
11.ラストダンスは悲しみをのせて
12.サーカス
13.大洋航路
14.ブルートレイン
15.グラスホッパー
16.八景
17.イエロー
18.Easter
19.サイレン
20.センスレス
21.さようならソルジャー
22.ボーイズ&ガールズ
encore
23.Dororo
24.今を生きて
25.解放区
文 ソノダマン